村上ゆかり(コラムニスト)

コラムニスト。国会議員秘書時代の調査報告、記事の執筆などをご紹介。

【記事のご紹介】「他責志向の部下」に上司がつぶされる…… 組織と自分を守る「戦略的アサーティブネス」とは

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私が執筆した記事をご紹介します。

他責志向の人が職場にいたらどうすればいいか、、、という視点で書きました。

よろしければ是非ご覧ください。

【記事のご紹介】「AI職務経歴書」はこう見破った 人事が見落とした“キラキラ経歴”のワナ

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私が書いた記事をご紹介します。

実際に私がキャリアシート(経歴書)をチェックして起きたことをきっかけに、AI経歴書の見破りポイントや、

「AIを使いこなす人」「AIに使われる人」についてのポイントを執筆しました。

よろしければ是非ご覧ください。

【記事のご紹介】「あの時気付いていれば……」 モンスター社員を面接で見抜く、たった一つの重要質問

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記事を執筆しました!よろしければご覧ください。

【記事のご紹介】野党は“国民会議”に参加すべきか 制度構造が示す合理性と、行政主導の問題点

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Xで記事を書きました。よろしければご覧ください。

国民会議という、何故か国会で議論しない会議体にて行われる消費減税の是非。そのいびつさから見える、日本の国会の問題について書いています。

 

▼本文抜粋

野党は“国民会議”に参加すべきか 制度構造が示す合理性と、行政主導の問題点

 

2026年2月26日、首相官邸に各党の幹部が集まった。「社会保障国民会議」の初会合——政府が「物価高対策」の旗印のもとに設置した、食料品消費税減税と社会保障改革を議論するための場だ。この会議で議論される「食料品税ゼロ」は、4人家族であれば年間約5.4万円の負担減(2026年2月レシチャレ調査データ)に直結する切実な問題だ。

出席者は政府・自民党、日本維新の会と、野党はチームみらいだけである。中道改革連合と国民民主党は参加を見送り、参政党と共産党はそもそも呼ばれなかった。複数の野党が参加を見送ったことについて賛否が分かれ、「欠席は無責任だ」など、一部のSNS上で批判が起きた。

 

  • なぜ「物価高」が「社会保障」に化けたのか

高市首相が衆議院選挙で「食料品の消費税を2年間ゼロにする」と訴えたのは、国民の苦しい生活を踏まえた物価高対策のはずだ。しかし、高市首相は初会合で給付付き税額控除を『本丸』と位置づけ、消費税ゼロを『つなぎ』とした。

消費税法第1条第2項により、消費税収入は社会保障に充てると定められている。これにより消費減税の議論が社会保障枠内に収まる構造とされており、野党からは『物価高対策が社会保障再設計に吸収される』との批判が出ている。

消費税は使い道が限定されない一般財源であり、他の税収と同じく一般会計に入る。消費税が一般財源とされている理由は、社会保障専用とした特定財源にすると予算調整の柔軟性が失われるためだ。財務省は予算総則で消費税について「社会保障への全額充当」を明記しているが、これはあくまで方針であり、実際のお金は他の税収と混ざって運用される。

つまり、消費税が一般財源である以上、物価高対策として消費減税を行い、足りない分は他の予算を削って充てることも可能だ。しかし、消費税法の条文を根拠に国民会議の議論の入り口を「社会保障」に設定した瞬間、減税の議論は社会保障の財源論へと移行してしまう。議論の入り口をあらかじめ社会保障枠に限定する手法は、政治学でアジェンダコントロール(議題設定)と呼ばれる現象だ。

 

  • あらかじめ前提が組み込まれた「国民会議」

国民民主党の川合参院幹事長は初会合前日の国会で「国民生活に大きな影響を及ぼす社会保障制度改革を、開かれた国会ではなく閉ざされた国民会議で行う理由が今ひとつ理解できない」と政府を質した。

この指摘の重みは、制度の違いを知るほど増してくる。

国民会議の法的な位置付けを注視すると、この会議は国家行政組織法8条に基づく「審議会(八条委員会)」のような法的根拠を持つ組織ではなく、議事録作成義務や公開基準が緩い「懇談会」形式である。多くの場合、内閣官房が主催する「有識者による懇談会」という形式が取られるが、この形式は法的な縛りがある審議会に比べ、議事録の作成義務や公開基準が緩やかになる。

もっとも深刻なのは、国民会議の参加者には「消費税を社会保障財源と位置づける枠組みを受容すること」という前提が組み込まれている点である。

本来、政策決定の場とは異なる意見を持つ者が議論を戦わせ、最善の妥協点を見出す場所であるべきだ。しかし実際には、政府方針と大きく異なる立場の野党は会議の参加を見送っており、結果として“政府方針を大枠で共有する層”で構成されている。会議の参加者には議決権もない。議決権すら持たない会議の参加者が反対意見を述べれば、政府案には「幅広い意見を聴取した」という報告をする根拠となる。

 

  • 議会制民主主義の「空洞化」を招く圧倒的行政主導

野党が「国民会議」を欠席することの是非を論じる上で、避けて通れないのが日本の政策決定プロセスのいびつさである。

内閣法制局の統計によれば、内閣が提出する法案(閣法)の成立率は例年9割を超え、年によっては95%から99%に達することもある。一方で、議員が提出する法案の成立率は極めて低い。この「9割超」という数字が意味するのは、国会に法案が提出された時点で、勝負はほぼ決しているという冷徹な現実だ。

なぜこれほどまでに行政主導が徹底されるのか。その要因は、主に以下の二つに集約される。

・与党事前審査制: 国会に提出する前に与党内で実質的な決着をつける。

・党議拘束: 法案提出後は与党議員が反対できない仕組み。

この制度構造が、閣法成立率95〜99%という結果を生み出している。政府が法案を提出する時点で、実質的な決着がついてしまうのだ。

行政側にとって「国民会議」のような有識者会議は、この事前審査を有利に進めるための強力なツールとなる。会議を通じて「専門家も認めている」「幅広い層の合意を得た」というお墨付きを得ることで、国会での議論が実質的に制約され、行政案が通りやすい環境が整えられてしまう。

前述した構造問題を踏まえれば、野党の欠席は極めて合理的な判断だ。特に、今回のように本来は「一般財源」である消費税を、「減税か社会保障か」という決まった枠組みの中で議論をする場合、議論が狭められている時点で結論が限定される恐れがある。

 

  • 歴史は繰り返す ―「社会保障・税一体改革」という成功体験―

今回の「国民会議」という手法は、以前も用いられている。前述した消費税法第1条第2項の根拠ともいえる、2013年に行われた「社会保障制度改革国民会議」だ。

当時、野田政権から安倍政権へと引き継がれた「社会保障・税一体改革」のプロセスにおいて、この会議は決定的な役割を果たした。「社会保障制度改革国民会議」は社会保障制度改革推進法(2012年)に基づく会議で、有識者中心に運営され、最終報告書では「消費税率引き上げ分は社会保障に充てる」と明記された。“国会審議を経ない非立法府型の合意形成が後の政策枠組みを拘束する”という点で構造が共通している。

一度「専門家による国民会議」がこのような方針を打ち出すと、国会での議論は「その方針をどう実現するか」という実務的な話に狭まる傾向がある。消費税は一般財源でありながら、政策運用上は実質的に“社会保障の特定財源に近い扱い”となっている。

過去の教訓を振り返れば、この会議に参加し、「消費税は社会保障と一体だ」という前提で議論することがいかに矛盾とリスクを抱えるかは明らかだ。消費税が社会保障の枠内であるという前提で合意が形成されれば、「特定の使途の一般財源」という特殊な存在の是非は問われなくなっていく。

 

  • 海外事例との対比:議会が「主役」の国々

日本の「行政が国民会議や有識者会議を開き、議論の枠組みを決める」という手法は、他国の議会民主主義と比較すると極めて異質である。

議院内閣制の本場であるイギリスには「影の内閣(シャドー・キャビネット)」が存在する。野党は政府と同じ情報にアクセスできるわけではないため、対案能力の高さは制度的役割に基づいているが、政策立案能力を有することが野党の制度的役割と認識されており、政策議論の主戦場は常に議会だ。行政が「国民会議」のような形での合意形成を先行させ、議会を形骸化させることは許されない。

米国では大統領制のもとで立法府が独自に政策形成力を持つ構造により、議会の「委員会」が強大な権限を持つ。法案策定の段階から公聴会が頻繁に開催され、利害関係者や専門家が議事録の残る公開の場で証言を行う。行政側が恣意的にメンバーを選んで政策の骨格を決めるのではなく、立法府が主体となって透明性の高い議論を積み上げるのが民主主義の標準的な姿である。

海外の事例と照らし合わせれば、日本の野党が直面しているのは、単なる政局の対立ではなく、立法府の権威が行政によって侵食されているという、先進国の中でも特異な、統治構造の問題に直面している。

 

  • 求められるのは幅広い「タブーなき議論」

「減税か社会保障か」という二者択一は、支出の削減という選択肢をあらかじめ排除しているかのように見える。しかし国民会議における本来の使命は、物価高に苦しむ国民の声を反映することであり、国民が切実に減税を求めるならば、真に問われるべきは社会保障費を含む歳出全体の見直しである。

野党が国民会議を欠席した事実だけでは何も変わらない。国会が政策形成の場として十分機能しているかという本質的な問題を提起し、欠席理由の説明、具体的な対案の提示、国会での追及という行動によってその意志を貫くことが求められる。

一般財源である消費税を特定の使途に定めている消費税法の条文についても、その在り方の是非を議論すべきではないか。今こそ、無駄の削減、支出の是非や制度のあり方を含めた、幅広い「タブーなき議論」を取り戻すことが求められる。

【記事のご紹介】「福島」をNGワードにしたAI政治家 ―「AIあんの」が問う、技術の限界と言葉の重み―

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Xで記事を書きました。一時期話題となったAIあんのについて私見を書いています。

よろしければご覧ください。

 

▼本文転記

「福島」をNGワードにしたAI政治家 ―「AIあんの」が問う、技術の限界と言葉の重み―

 

「政治を、アップデートせよ。」

2024年東京都知事選。安野たかひろ氏が放った対話型AI「AIあんの」は、24時間どんな質問にも即座に答える「透明な政治」の象徴として、デジタル世代の若者を中心に熱狂を巻き起こした。

しかし、その熱狂に冷水を浴びせるような「事件」が起きた。

きっかけは、エンジニアたちが集うソースコード共有サイト「GitHub」への投稿だった。善意の第三者が見つけた『NG.csv』というファイルに存在したのは、AIに「語らせない」と決められた29個のNGワードだ。筆頭に刻まれた「福島」の二文字をはじめ、「原発」「ワクチン」「財源」「Colabo」……。そこには、今の日本が最も議論を必要とし、かつ政治家の「覚悟」が問われる言葉が、無機質に並んでいた。

ネット上の一部で「意味深すぎて怖い」「福島をタブー視しているのか」などと批判が噴出した。

 

  • なぜ「福島」は封印されたのか?エンジニアが暴いた「対話」の裏側

「AIあんの」の最大の特徴は、その開発プロセスが極めてオープンだったことにある。安野氏のチームは、プログラムのソースコードをGitHub(ギットハブ)というプラットフォーム上で誰でも見られる形で公開していた。開発者の「透明性」への自負が生んだこの公開が、最初の「亀裂」を露呈させることになる。

あるユーザーが、その公開データの中に不自然なファイルを見つけた。それが、AIの挙動を制限する『NG.csv』というリストだ。

リストを開くと、そこには「福島」「原発」「核」などの東日本大震災から続く深い傷跡とエネルギー政策に関するワードや、「関東大震災」「朝鮮人犠牲者」などの歴史認識を巡るデリケートな対立が生まれやすいワード、「財源」「Colabo」などの東京都と関連しそうなワードなどが並んでいた。

 

これらのワードが入力された際、AIはあらかじめ用意された「特定のトピックにはお答えできません」という定型文を返すよう設計されていた。24時間どんな質問にも答えるはずの「対話型AI」は、結果として、政治家として問われやすい29のテーマの回答を控える設計となっていた。

このNGワードについて、安野氏は、ハフポスト等の取材で、「AI特有のハルシネーション(もっともらしい嘘)への対策」と説明した。生成AIは、統計的に「もっともらしい言葉」を繋ぎ合わせる性質を持つ。賛否が激しく分かれる福島原発の問題や歴史認識について、AIが誤った事実を生成するなど、党の意図しない極論を回答するリスクがある。

安野氏は「AIにデタラメを言わせるわけにはいかない。それは不誠実だからだ」として、技術者としての倫理観からこのブロック機能を設けたと説明した。

生成AIの研究や運用の現場では、こうした対応を「標準的なリスク管理」と評価する声がある。OpenAIなど主要開発機関の研究や、EUのAI規制、日本政府のAI戦略においても、歴史問題や災害、医療など高リスク領域では、誤情報の拡散を防ぐために出力制限を設けることが推奨されている。「福島」などをAIに安易に語らせない判断は、政治的逃避ではなく、むしろ誤情報による二次被害を防ぐための責任ある選択ともいえる。

 

  • 後手に回った情報公開と、NGリストの非対称性

本来、安野氏の「GitHub公開」という試みは、新しい政治の透明性を象徴するはずだった。しかし、そこに『NG.csv』という制限リストが偶然的に後から見つかったことで、皮肉にもその透明性が「不透明さ」を浮き彫りにしてしまった。

ここにあるのは「透明性」の逆説だ。チームみらいが目指した透明性は、システムの内部を見せるという技術的な公開に留まっていた。しかし、有権者が真に求めているのは、システムが「何を答え、何を答えないか」という判断基準そのものの開示であり、その背後にある政治思想の共有である。

NGリストが「発見」されるまでその存在が伏せられていた事実は、意図していたか否かは別として、本来誠実であるべき情報公開のプロセスが後手に回ったことを意味する。見つかってから技術的な正当性を説く姿は、政治家というよりは、バグを指摘されたエンジニアの事後対応に近い。

一部では、NGリストの「非対称性」についての批判も挙がっている。例えば「福島」や「関東大震災」といったワードが厳重にブロックされる一方、他の特定の政党名や、当時世間を騒がせていた「裏金問題」など、政治スキャンダルに関する直接的なワードが網羅されていない。

この選定基準について、党側は「ハルシネーションのリスクが特に高いセンシティブな話題を中心に設定した」と説明している。公表されている情報の範囲では、政治的意図や隠蔽を裏付ける明確な証拠は確認されていないが、選定基準の詳細は不明瞭なままだ。完全な透明性は確保されたとはいい難い。

この非対称性をどう評価するかは、有権者側の受け止め方に委ねられている。

 

  • 海外事例との比較に見る、安野氏の「手法」の危うさ

海外の事例と比較すると、安野氏が取った「単語そのものを遮断する」という手法の特異性が浮かび上がる。

たとえば、2024年のイギリス下院総選挙に登場した「AIスティーブ(AI Steve)」や、アメリカ・ワイオミング州の市長選で注目された「VIC(ヴィック)」といったAI候補者たちは、答えにくい質問に対しても「有権者の声を収集し、議論を積み上げる窓口」であることを放棄しなかった。

安野氏の手法と彼らの決定的な違いは、「NGワードによる門前払い」か「対話の保留」かという点にある。海外の事例では、センシティブな問いに対しても、AIが「その問題には複雑な背景があるため、本人の政策ページを参照してください」と誘導したり、あるいは「あなたの意見をデータとして蓄積します」として受け皿になったりする設計が主流だ。公表情報の範囲では、これらの海外事例でNGワードによる単語ブロックが採用されたという記述は確認されていない。

対して安野氏の「NGリスト」は、特定のワードが入力された瞬間にシステムが思考を停止し、「回答できません」として対話そのものを遮断してしまう。

「答えるのが難しいから保留する」のと、特定の単語に「答えない」のとでは、有権者に与える印象は天と地ほどの差がある。安野氏は現在、「AIあんの」が答えられない質問は自分に直接聞くよう求めているが、あらかじめ「AIあんの」が安野氏本人へ誘導する仕組みがあれば、炎上までには至らなかっただろう。

さらに深刻なのは、福島の問題を「ハルシネーション(誤情報生成)のリスク」という技術用語で片付けてしまったことだ。人は往々にして、たとえ技術的には正論でも、感情が処理しきれないということは時と場合によって避けられないことがあるものだ。安野氏の正論は、今なお痛みや葛藤を抱える当事者たちの感情を置き去りにしてしまった。

エンジニアとしての回答であれば満点だったかもしれない。しかし、安野氏は政治家だ。正論をそのまま語るだけの姿勢では、政治の根幹である「信頼」というアナログな国民感情に寄り添い続けることは難しくなる。

 

  • リスクを背負って自ら発信する言葉の「重み」

政治家が「福島」や「原発」について語る際、そこには常に批判されるリスクや、場合によっては政治生命を失う覚悟さえ伴う。反対派からの猛烈なバッシングを受ける上に、支持を大きく失うかもしれない。その「返り血を浴びる覚悟」を持つからこそ、発せられた言葉に重みが宿り、国民の心は動かされるのだ。

「AIあんの」の言葉は、NGワードという防壁を築き、ハルシネーション(嘘)というエラーを排除し、統計的な「正解」だけを出力する。それは「政治家の言葉」というより、「広報の窓口としての情報共有ツール」に近いのではないか。

 

生成AIを政治に導入する以上、「どこまでを機械に任せ、どこから人間が引き受けるのか」という線引きは、どの国でもまだ模索段階だ。安野氏の対応は、その試行錯誤の一つの過程であり、「すべてをAIに語らせない」という選択自体は、一定の合理性を持っていたと評価できる。AIの可能性は未知数だが、最も重要なのは、AI活用の是非ではなく、AIを活用する政治家本人の言動そのものである。

国民がリーダーに求めているのは、AIが導き出す「最大公約数的な正解」ではない。福島の問題のように、簡単には答えが出ない、あるいは何が正解なのかいくら調べてもはっきりしない問いに対して、「たとえリスクがあろうと、自分の責任で踏み出す言葉」を発する決意だ。そして、間違いに気づいたとき、自らの過ちといかに誠実な言動で向き合えるかという泥臭い覚悟である。

どんなツールを活用したとしても最終的に国民が見ているのは、政治家の言動の裏にある決意と覚悟、そして政治家自身の人間的責任であることを忘れてはいけない。

 

【記事のご紹介】買春罰則化の「不都合な真実」 アングラ化が招く構造的暴力

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Xで記事を書きました。

AV産業にとって最も恐ろしいのは、実態が見えなくなることです。

よろしければご覧ください。

 

▼本文転記

買春罰則化の「不都合な真実」 アングラ化が招く構造的暴力

 

  • 正義という名の凶器

パリ郊外の深い森。街灯の光さえ届かない場所で、アネは助手席に深く沈み込み、震える指先を隠した。隣に座る男からは、酒とひどく攻撃的な汗の臭いが漂っている。

かつての彼女なら、窓を開けた瞬間に断っていたはずの、生理的な嫌悪感を催させる相手だ。

それなのに、なぜ私はこの車に乗ってしまったのか。

 

「性労働者の尊厳を守る」 テレビの向こう側で、スーツを着た政治家たちが晴れやかな顔でそう宣言したとき、アネはそれが自分と息子への処刑宣告になるとは夢にも思わなかった。

2016年の春、買春を処罰する法改正が行われた。その一見正しい法改正が、皮肉にも性労働者の取引のパワーバランスを決定的に破壊してしまった。客は警察の摘発を異常なまでに恐れ、路上で車を止めることを拒んだからだ。かつて、彼女が客を見定めていた時間は、今や警察から逃げるための「制限時間」にすり替わった。

「早くしろ! 捕まったら俺の人生は終わりだ!」

半開きになった窓から投げつけられる焦燥の怒号。アネは一瞬、ためらう。この男の目は、かつて自分が「NO」と言って拒絶した男と同じだ。嫌な予感が背筋を走る。

だが、そのとき脳裏をよぎるのは、明日の朝、息子の朝食に並べるはずの牛乳と卵の代金だ。

「……わかったわ」

彼女は自ら、その「檻」の中に足を踏み入れてしまった。

アネは知っていた。誰もいない暗闇へ行くことが、どれほど自分を無防備にするか。しかし、買い手が減って経済的に追い詰められた彼女には、かつてのように「NO」と言って背を向ける選択肢は、もうどこにも残されていなかった。

そして、最悪の夜が訪れる。

森の湿った土の上で、アネは一人、体を引きずりながら立ち上がった。暴力を振るわれ、売上を奪われた彼女の指が、警察への通報ボタンを叩くことはなかった。

もし通報すれば、彼女は暴力から救われるかもしれない。しかし引き換えに、家宅捜索で住処を追われ、あるいは「犯罪に関わる親」として、最愛の息子の親権さえ奪われてしまうかもしれない――。

 

  • 買春の罰則化による「アングラ化」の恐ろしさ

アネの物語は、複数の調査報告に基づいて再構成した一例であり、すべての当事者を代表するものではない。しかし、法改正後に増加したリスクを象徴的に示す事例でもある。2016年にフランスで施行された「買春処罰法」のその後を追った、世界の医療団(Médecins du Monde)等の公的機関や支援団体による膨大な調査レポートには、様々な実話が報告されている。

買春処罰法を評価する声も存在する。支持者は、「需要を減らすことで搾取構造を断つ」「人身売買を抑制する」「路上売春を減少させた」と主張してきた。実際、一部地域では、表面的な街頭売春の減少が報告されている。しかし一方で、「アングラ化」という現象を訴える人が少なくない事実も見過ごせない。

なぜ、女性を救うはずの法律が、彼女たちをさらなる窮地へと追い込んだのか。そこには「アングラ化」という名の、残酷なまでに合理的なメカニズムが働いている。

 

  • アングラ化の仕組み

「アングラ化」とは、単に取引の場所が路地裏に移動することを指すのではない。それは、社会の監視の目と、当事者の防衛手段が、同時に失われてしまうということを意味している。具体的には、以下の3つの連鎖によって進行する。

 

1 物理的遮断(密室化)

買う側が摘発を恐れ、人目のある街灯の下を避け、叫び声も届かない郊外の森や、施錠された密室、あるいは身元を隠せるSNSのDM(ダイレクトメッセージ)へと逃げ込む。これにより、万が一の際の救助が物理的に不可能になる。

2 情報の遮断(ブラックリストの消滅)

「この客は危ない」という情報は、かつては現場のコミュニティで共有される唯一の防具だった。しかし、客が「影」へと潜り、やり取りがクローズドになることで、危険な客の情報が共有されなくなり、すべての女性が「一か八かの賭け」を強いられるようになる。

3 交渉力の喪失(パワーバランスの崩壊)

罰則があることで、客は「自分がリスクを負っている」という優位性を盾に、無理な要求や値下げを強いるようになる。アングラ化が進むほど、売る側は経済的に困窮し、本来なら断るはずのハイリスクな取引(避妊具の不使用など)を拒否できなくなる。

アングラ化とは「正義の監視」から逃れると同時に、「安全のためのルール」さえも機能しない無秩序な闇へと、当事者を突き落とすプロセスのことである。

 

この構造の変化がもたらす因果関係は、数字にも示されている。

2018年に発表された調査レポート(Loi de 2016 : une réforme qui précarise les travailleur·se·s du sexe)によれば、法改正後、性労働者の実に42%が「以前よりも暴力被害が増えた」と回答し、70%以上が「客との交渉において、以前よりも安全確認(コンドームの使用など)を求めることが難しくなった」と証言している。最新である2024年の報告でも、暴力被害の報告数は前年比で6%増加するなど、悪化の傾向は止まっていない。これらの調査を行ったMdM(世界の医療団)は当事者の支援団体であり、回答者の多くが支援を必要とする層に偏っているという特性はある。しかし、アングラ化が進むほど実態把握が困難になる中で、この数字は数少ない、しかし確実に現場から上がっている「悲鳴」の記録であることに変わりはない。

 

  • 罰則を設けても、性産業は減らない

性産業は、罰則を強化すれば自然に縮小するような「弾力性の高い市場」ではない。需要は性欲や孤独といった代替しにくい動機に支えられ、供給も貧困や家庭環境などの構造的制約と結びついている。そのため、リスクや処罰を重くしても取引そのものは消えにくく、多くの場合、減少ではなく地下化と危険化を招く。刑罰によって市場を消滅させようとする発想自体が、現実の構造を踏まえない非現実的な政策なのである。

つまり、「買う側を罰して需要を断てば、彼女たちは救済され、他の仕事へ移るだろう」という理屈は、あまりに現場を知らない机上の空論だ。現実には、自らの意志でこの仕事を選択している女性もいれば、学歴や年齢、家庭環境といった構造的な制約から「ここ以外に生きる場所がない」女性も数多く存在する。

現に、フランスの法律施行後の調査(Médecins du Monde 2018)では、衝撃的な事実が明らかになっている。法改正によって客足が遠のき、労働環境が極限まで悪化したにもかかわらず、大多数の女性たちが性労働を辞めなかった。

日本において現在検討されている買春の罰則化も、制度設計や運用次第では、同様の問題が再現される可能性は否定できない。そうなれば、すでに限界まで追い詰められている日本の性労働者たちが、さらなる地獄へと突き落とされる恐れがある。

 

  • 最も深刻なのは、実態が見えなくなること

最も深刻なのは、アングラ化が進むことで「実態が統計に現れにくくなる」という構造である。
路上取引が減れば、表面上の件数は減少する。しかし、それは必ずしも被害の減少を意味しない。密室化・オンライン化が進むほど、暴力や強要は外部から観測されにくくなる。
通報率が下がれば、警察統計は改善して見える。だが、それは「安全になった」のではなく、「測れなくなった」可能性は排除できない。アングラ化は、被害そのものだけでなく、被害の可視性を奪う。

フランスの買春処罰法については、2024年、欧州人権裁判所が人権条約違反には当たらないとの判断を示している。これは、同裁判所が各国に広い裁量を認めたというもので、制度の有効性そのものを保証したわけではない。また、継続的な検証の必要性も同時に強調されている。「合法だから正しい」「合憲だから成功している」という評価は成り立たないのである。

制度の一部に抑止効果があった可能性を完全に否定することはできない。しかし、アングラ化によって実態把握が困難になった以上、性産業の実態が「わからなくなった」というのが正解に近い。わからなくなることこそ、性労働者たちを最も過酷な環境に置くことになる。

 

「搾取を許さない」という正義感。その動機が正しくとも、結果が「現場の安全」を破壊するものであれば、それは救済ではなく、新たな、そしてより凶悪な搾取の構造を作り出す共犯者となる。そうならないためには、フランスの事例を参考にしながら、支援体制の違い、経済的困窮層の多さなどの日本の実態とも照らし合わせ、現場の声を十分に聴取した制度設計が不可欠だ。

日本が今、選ぼうとしている道が、彼女たちを暗闇に突き落とすためのものではないことを、私たちは厳しく監視し、問い続けなければならない。